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2018年05月28日

なぜクトゥルフのキャラクターは擬人化されるのか?

 私は子供の頃に少々SFをかじった経緯から、SF的な着眼点で何かをシュミレートして見るのが結構好きだ。平たく言えば妄想癖があるのだが、本日はその厨二病的な話からスタートしていきたい。

・超知性の対話について考えてみた

 人類は言語で意思を疎通しているわけだが、言語は始まりがあって終わりがある。そして多くの人間は対話する相手と一対一であっても、自分のしゃべる順番と相手のしゃべる順番を無意識に入れ替えて会話する。二人の人間が同時に間断なくしゃべり続けていたら、第三者は会話が成立していないと感じるのではないか。自分がしゃべる瞬間に結構な意識がそこに割かれてしまうため、しゃべりながら相手の話す内容を聞くのはかなり難しい。これが3者による鼎談となるとほぼ無理ではないだろうか。結局、先日の妄想はどこから始まったかと言うと「超知性を持つ存在はいかにして『対話』するのだろうか」という着想だった。ここで言う「超知性」は人間の手の全く届かないレベルの知性だとさせていただきたい。当然、私によって想定された超知性から見ると私はゴミ以下なのだろうが、それでも妄想主は私なので構わず妄想を続けた。そして、ここにたどり着いた。「もしかすると言語は人間には過ぎた道具なのかもしれない」というところだ。その経緯については深く解説しないが、そこにいたる過程でいろいろなパターンを考えた。その中の一つとして、超知性同士の対話の可能性の一つとして「アルゴリズムをやり取りする」というものを考えた。例えばアルゴリズムをそのまま相手に伝えるのはどうだろう。てんぷらを揚げる作業をアルゴリズムにして、それを相手に伝えるとどうなるだろうか。そこには調理作業のトラブルに関するアルゴリズムまで含まれていると考えるとかなり情報量は多いはずだ。しかし、そこまで考えたところで実は人間はそれに近いことを会話でやっている場合があるとも気づいた。どういうことかと言うと料理の熟練者同士はほぼ同様のてんぷらに関するアルゴリズムを共有しているため、最小の情報で互いに情報を交換できる。そうした情報交換の手前ですでに両者が共有している技術を使って、交換したい情報を圧縮すると言う事を人間はやっていることになる。やはり知性は対話の次元を飛躍させると言う事だろうか。

 では、クトゥルフに登場するクリーチャーたちはどのようにして情報を交換しているのだろうか。この問いを考える前に彼らは「対話に必要を感じているのか?」と言う問いが生まれることに言及だけしておく。言及だけして話を進めると、ラヴクラフトの世界観の中には上で挙げた超知性も存在していると記憶している。例えば文明を持った天体それぞれ1万ほど破壊した経験を共有する2者が対話した場合、その内容は人間に理解できるだろうか。これは恐らくできない。すでに仮定からして分かりにくいので、人間のスケールに合わせて尺度を下げてみたらどうだろう。園児のいる保育園をそれぞれ百棟ほど爆破した爆弾魔が2者で対話した内容はまともな人間に理解できるだろうか。これも恐らくできない。むしろ彼らからすると私のほうが変人なのかもしれない。「自分が過去に子供であった屈辱に対する正当な復讐だと考えてそうしているのだ」と言う理屈は私が今、適当に思いつきで書いたのだが、それすら納得はできない。ではその爆弾魔が「あなたは子供ではないので危害を加えないので安心して欲しい」と言って隣に住み始めたらどうだろう。多分怖い。同じように人肉以外食べない人間が隣に住んでいても怖い。「あなたは食べないから大丈夫」と言う問題ではない。理解できなさ過ぎて怖い。爆弾魔と人肉食の2者は先に挙げたの超知性よりはまだ人間に近しいため「何でそんなことをするのか分からない」怖さがある。しかし、クトゥルフの世界には「具体的に何をしているのかすら分からない」連中もいる。分からなさが徹底している。

 さて、ハングルという文字があるが、実はあの文字は非常に変わった性質を持っていて「ルールさえ守れば無制限にあたらしい文字が作られる」という表音文字だ。ハングルの文字の構造自体には文法は厳密には含まれていないので、朝鮮語が持つ音素で足りるならば、世界中のどんな言語でも表記できる。そして一文字が一音節を表す必要がないため、極端な話、日本人の子供が書いた夏休みの読書感想文を全て一文字に詰めることもできたはずだ。例えば超知性がそうした文字を6兆ぐらい持っていて、それらを共有する相手と会話した場合、六法全書が400字で収まるといった事態もあるかもしれない。文字を発音したときに使える音は聞く側と声に出す側の器用さに依存しているため、超知性が人間の可聴領域をはるかに越える音域を同時に複数使って会話するとしたら、一音を発声したときのその情報量は人間とは段違いに大きくなる。例えばある人間が生まれてから死ぬまでの生き様が全て予測されていて、その全てが一音に圧縮されていたとしたら、超知性が一言発した瞬間に、その人物の個人情報から秘密の性癖まで全て超知性の間で共有されている。その上で、そいつをどうしようか話し合うとしても、次の一声の中に500ぐらいの処遇が含まれていると見て間違いないだろう。

・理解できない恐怖へのカウンター

 クトゥルフの世界観においては初期においては「人智を超えたものに対する恐怖」は非常に重要なエッセンスであったと私は解釈している。「人智を超えた」をもっと凡庸に「自分では理解できない」と置き換えてみると、そこには「キモい」という表現も当て嵌まってくるだろう。例えば「クトゥルフの世界観はそもそも1人のオッサンによって生み出されたキモい世界だ」と声に出してみたらどうであろうか。当然、それに群がる連中も「キモい」連中になる。必要以上の形容詞と副詞、そして不可解な比喩表現を使った文章を読む気も起きない方も結構おられるだろう。現に「クトゥルフが好きだ」と言う方に「『インスマウスの影』読みましたか?」と尋ねるのはすでに野暮の領域で、どちらかというと「そんなカビの生えた本読んでないで、オッサンはそろそろ空気を読めよ」みたいな風潮は生まれていると思う。これは「○○って元々は室町時代に売春の巣だったヤツですよね?元は売春文化だったものを伝統芸能って言い張るのはどうなんですか?」と言う話に近しいのかもしれない。クトゥルフをメジャーかさせるためにはキモい要素は極力排除するべきなのだ。

・超知性の破壊、そして擬人化へ

 人間は人間の姿をして朗らかに人間の言葉を喋るモノにはあまり気味悪さを感じない。だからクトゥルフのキャラクターは全て擬人化することで「キモさ」を取り払うことができる。そしてその行動原理からも「キモさ」は撤廃することができる。若者がオッサンに感じる「キモさ」には、オッサンの行動原理に若者が「理解できない」、または「理解したくない」要素が含まれているせいだと考えた時、クトゥルフからも「若者が理解できない行動原理」を撤廃することは非常に正しい。逆に若者にも理解できる範囲の「アブなさ」を添加すると尚良くなるだろう。その際、そのキャラクターが元はなんだったかを知るためのギリギリのエッセンスを残すのが肝要である。カソリック的な手法を借りて言えば「キャラクターのアイコン化」をするわけだ。この「キモさの撤廃」「アブナさの添加」「アイコン化」の3つを経て、数世代前のオッサン達によって生み出された不可解と恐怖の作品群は「ちょっとアブない萌キャラワールド」に変貌し、ポップカルチャーに躍り出る準備を整えたのである。

・この流れに対して抵抗する人間はもういない

 この「ちょっとアブない萌キャラワールド」化について、私個人としては反対する立場にある。しかし、ぶっちゃけこれに対抗する手段は全くない。そもそも、作者があまりにも早く逝ってしまった為、すでに死後50年が経過し、遺族に著作権すら残っていないのだ。やりたい放題なのだ。きっとそのうちギーガー御大ですら「作品の魅力も理解できない質の悪い二次創作をした作家だ」と若い同人作家に叩かれはじめるだろう。白雪姫もシンデレラも眠れぬ森の美女もディズニーがそもそも作ったキャラクターではないし、ポカホンタスにいたっては白人社会に振り回されて20代で早世した実在の悲劇の女性だが、ハッピーエンドにされてしまった。当然、子孫は怒ったが何も変わらなかった。子孫が怒っても映画によって生活できた人がいたからだろう。それと同じことがクトゥルフの世界にも起きはじめているというだけの話で、20年後ぐらいに、コンビニの書棚に「本当は怖いクトゥルフ神話」のような書籍が置かれて、「あれ?既にこれに似たタイトルの本ってあったよね?」と現在の20代が40代になってモヤっとする日が来るのではないか?と述べてこの話は終わり。
posted by スナ惡とか粂田とか at 00:05| Comment(0) | ライブ放送はコチラ! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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